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2017.01.11 (水)

スポーツ選手のインタビューの謎【後篇】

サッカー

前回の記事から大きく間が空いてしまいました。
Facebookのコメント欄に寄せられた疑問についての考察・後編です。
テーマは「スポーツ選手のインタビューに対する違和感」
判で押したような決まり文句が多用されていますが、はたしてその違和感の正体とはいかに?!
あくまで私個人の感覚なので「いいや、違う!」といった意見も大募集です。言葉を楽しく味わいましょう♪

「感動を与えるプレー」の違和感

「感動を与えるプレーができるようがんばります」
皆さんも一度は聞いたことがあるフレーズではないでしょうか。
似た表現には他にも「夢を与える」「元気を与える」などがあり、スポーツだけ留まらず、本や映画、音楽などにおいてこういった宣伝をされることがあります。
さて、この「与える」という言葉。どことなく、上から目線で言われているような気がして違和感を覚える方もいらっしゃるかと思います。
そもそも「与える」にはどのような意味が込められているのでしょうか。
「与える」という言葉を辞書で引くとこのように載っています。

「与える」
①自分の所有する物を目下の相手に渡しその者の物とする。やる。授ける。 「子供におもちゃを-・える」 「家畜にえさを-・える」 〔古くは目上の相手に渡す場合にも使われた〕
②時間・条件など相手が利用できる状態にしてやる。 「弁明の機会を-・える」 「部下に権限を-・える」
③相手にそれを課す。 「生徒に課題を-・える」
④他者に何らかの影響を及ぼす。 「聴衆に感銘を-・える」 「ショックを-・える」
大辞林第三版より

「感動を与える」というフレーズは④の「他人に何らかの影響を及ぼす」の意で使われているのでしょう。
しかしながら、「与える」という単語の①②③の意味は目上から目下への行動というように読み取れます。この語感に引きずられて、「感動を与える」というフレーズにも違和感を覚えてしまう方がいるのです。
このことから、誤解や違和感を避けるためにも、「皆さんを勇気付けられるような、そんなプレーができるようがんばります」などと言い換えた方が無難だと言えるでしょう。

感動は与えられるものなのか

感動は受け手が感じるもの

また、個人的には「感動は与るものではなく、するものだと思っています。
涙もろいくせに強がりなので、感動する映画を観ながらも「この映画が私の心の中で勝手に作用し、結果、感動したのであって、制作者側にまんまと乗せられて涙しているのではない!」と意地を張ってしまいます。人間が故意に狙って感動を促すことができると思いたくないのです。
「感動は与えるものではなく、受け手が勝手にするもので、受け手が感動する行為を行った者は、勝手に感動されただけである」というのが持論です。
心を動かされるも、動かされないも受け手次第。そんなに簡単に与えられるほど、私の「感動」は安くないぞ! と自分を保っていたいのです。

とはいえ、私たちは「感動を与える」という表現を、学校の英語の授業で習っています。
そして、「感動を与える」という英単語はあっても、「感動する」をずばり一単語で表す表現はないことを知っています。
感情を表す動詞は、受動態で表されていましたよね。
英語では、感動は、「与えられるもの」なのです。
根底にどのような考えが流れているのかを知ると、日本語の「感動を与える」という表現に対しほんの少し寛容になれるかもしれません。

ギリシア神話パーン

ギリシア神話にはパーン(Πάν)という神がいます。四足獣のような下半身に、山羊のような角を持った、羊飼いと羊の群れを監視する神です。
古代ギリシアの人々は、家畜の群れが何の前触れもなく突然騒ぎ出し、集団で逃げ出す様を見て「パーンが何かをしているに違いない」と思い、この状態を「パーンに関係するもの」という意味の「パニコン(πανικόν)」と呼びました。
「パニック(panic)」の語源です。
神(何か超常的なもの)によって引き起こされ、結果、感情が揺り動き騒ぎ出す。
何かに起因して初めて感情が動くので、英語などの言語において、感情は受動態で表されるのです。

「感動を与えるプレーができるようがんばります」
例えその表現に違和感が拭えなかったとしても、選手の「プレーに起因して、観客の皆さんの心が動くようにがんばる」という心はまっすぐに受け止めたいものですね。

カテゴリー: 言葉

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